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丸竹茶屋の あん餅 @盛岡 [岩手のおいしいもの]

盛岡の上の橋近くの「丸竹茶屋」さん
 →http://www.k2.dion.ne.jp/~marutake/
今月(2017年)8月末で閉店するというニュースを読みました。
岩手日報「餅の「丸竹茶屋」8月末で閉店へ 盛岡、創業145年」
 →http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170810_2
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写真は以前撮ったもの。
8月末までにもう盛岡に出かける予定がないから
あの美味しいお餅がもうたべられないのか・・・。
仕方ないとはいえ、建物は取り壊し、跡地は駐車場になるというのも残念です。

明治5年創業のお店です。
私が最初にでかけたのは、もう10年以上前(おや、20年以上かな??)

「ここのお茶餅がおいしいんだよ。ごちそうしてあげましょう」と
ワルトラワラの仲間の岡澤さんが連れて行ってくれたのが最初でした。
それがきっかけで盛岡のお気に入りのお店のひとつになり、お茶餅ファンになりました。
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お店でいただくときは赤飯定食と3つのお餅が味わえる三点盛りが好きでした。

かつての丸竹茶屋の写真
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明治20年頃の丸竹茶屋 現・県民会館のところに建っていたという
(現在の丸竹餅店の店内にあった写真をお店の方に了解いただき撮影させていただいたものです)
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盛岡では、気楽に買えて食べられる餅(米の粉でできた)お菓子を「べんじぇもの」といいます。
名前の由来は、中世から明治にかけて物流の手段だった東廻り航路の船の呼び名「弁財船」からとも。
都会からとどくおそらく最先端で美しい道具や情報をはこんできた船は、
東北の海産物や工芸品を乗せ、再び都会へむけて港を出ていきます。
そんな「いいもの」を運ぶ船「べんざいせん」~「べんざいもの」
それにちなんだ「いいものをはこんでくるお菓子~「べんじぇもの」。

丸竹茶屋はそんなべんじぇものを作るお店のひとつ。
もちろんべんじぇものほかの高級和菓子や、お昼には赤飯のいただける定食なども。
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そして賢治ファンとしてはわすれちゃいけないのが「あん餅」です。
賢治とあん餅のエピソードは今から67年前に書かれた
1950年5月発行・宮澤賢治研究「四次元」7号掲載の
吉田沼萍さんの記した「法の人 -宮澤賢治君-」に出てきます。
丸竹さんが盛岡市民に愛されてきたお店なんだなあということも伝わってくる文章です。

少し解説すると、そのエピソードの舞台は、大正三(一九一四)年。
その春、宮沢賢治は盛岡中学を卒業した十八歳。進学したい思いをもちながら、卒業後は、自宅で家業を継ぐために店番修行にはげむ日常が待っていた頃です。でも賢治は、卒業前の一月より体調を壊し、卒業後の四月に肥厚性鼻炎の治療のために岩手病院で入院し手術をする。手術後も体調がすぐれず、約一ヵ月間の入院生活を送りました。
体も心も憂鬱な賢治の青春時代。
その年の九月、賢治は、肋膜と盲腸炎で盛岡病院に入院している中学時代の友人を、同じく中学時代の友人・橋本正介さんと慰問します(『新校本宮澤賢治全集・年譜篇』より)
その慰問された相手が吉田さんです。「法の人」にはそのときのエピソードが記されています。
(エピソード中には、賢治と橋本氏も盛岡病院に入院中と思われる記述もあるのですが、
他の資料をあたってもなかなかわからず未検証。なのでここでは校本全集と同じく「慰問」「見舞いに行った」という表現をさせていただきます。今後の課題です)

入院中の吉田さんは、その三、四週間は絶食状態。
にもかかわらず、賢治は「もつくうすか(餅を食いましょうか)」と、病院から五分ほどのところにある「丸竹」という店の餅を取り寄せて食べたそう。

(以下、引用・・・)
そこの餅は、絶品と云ひたいうまさである。粳米も最良ものを使用して居る事は勿論だらうが、出来上がりに水氣が尠く羽二重のような美しさで、歯切れのいゝ事、ごま餅や、くるみ餅、あべ川もあり、あん餅にいたってはこれこそ天下一品、一度食つた経験のある者でなくては、本當にそのうまさは分らぬと云ふしろもの。盛岡の人でなければその味は先づ分かるまい。
・・・・・・中略・・・・・・


「おまじやんしたべ(おまちになりましたでせう)」
と云って丸竹のあねさん(女中の敬語)は、直径一尺五寸(※約45.45cm)位の皿に、あん餅を山のように盛って届けて来た。先刻出て行った賢治君は注文して来たのである。重湯も呑めないでいるゐる私、之を一目見て愕然とした。
・・・・・・中略・・・・・・

丸い紙の包みがある。賢治君はガーゼを敷き拡げ、その上に紙筒いの中身を出してゐる。よく見るとそれは煎った麥であった。それをガーゼに包んで側にカンカン沸騰している南部鉄器の蓋をとって、その中に入れた。麥湯を作るためである。

・・・・・・以下、略・・・・・・
(『四次元 七号』「「法」の人‐宮澤賢治君‐」吉田沼萍 より) 
旧かなづかいは一部あらため ※は私の追記です

当時の丸竹のお餅(お持ち帰り用?)には、麥湯を入れるための煎った麥がそえてあったようです。
その麦の香ばしい香りのせいで、院長の回診があって「(麦の)いい香りがしますね」なんていわれて、
院長には賢治がとりよせたことが「ばればれ」だったのです。
ですが一応「黙認」されたのでしょう。3人はこのあと、吉田さんの付き添いのおばあさんの目を盗んで(買い物を頼んででていってもらった)、丸竹のあん餅をたべるのです。

(以下、引用・・・)
食つた食つた夢中で食つた。賢治君も舌鼓を打ち乍ら
「くるみ餅や、ごま餅よりもあんころ餅がうめなはん(うまいですね)」
(『四次元 七号』「「法」の人‐宮澤賢治君‐」吉田沼萍 より) 

仲良し同士で「こっそりたべる」ごちそう。あん餅、さぞやおいしかったでしょうね。
賢治の入れる麥湯は、賢治ファンにはたまりませんなあ!

そして賢治は、あん餅をほおばっていた時と同じころ、父から盛岡高等農林受験の許しを得るのです。
翌年、盛岡高等農林に入学。賢治の学友たちとの青春時代がはじまります。
 ~~このあとの賢治について知りたいときは「アザリア展」をば
    http://bonjour-konogoro.blog.so-net.ne.jp/2017-08-07
 

「あん餅をたべました」
丸竹のあんもち.jpg
と、ブドリ兄さんから写真付きの報告が届きました。
(そうか~行ったのか、偉いなあ。さすがのフットワークです)
8月26日のところに詳細
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/news/news201708.htm

丸竹さんいつもおいしいお餅をありがとうございました。
ところで盛岡のべんじぇもののお店自体、ここ数年でずいぶん減りました。
べんじぇものフォーエバー!!


・・・あん餅やべんじぇものについては
    ワルトラワラ37号の「イーハトーブ料理館・べんじぇもの」書いています
    よかったらご一読下さい~~。 


コメント(4) 
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コメント 4

かわはら

盛岡の懐かしいお店、風景がまた無くなるんですね>_<
賢治さんの頃の事は分かりませんが、私が住んでいた昭和の終わり頃には、あの辺りには日赤、医大、県立病院などがあり、お見舞いにお餅なんて事も有ったのかもしれませんね。(私もこの辺に住んでました。)友達が、自習時間にお茶餅をこっそり買いに行ってみんなで食べたなんて思い出もあります(^^)
ゆきねこさんの「イーハトーブ料理館・べんじぇもの」読んでみたいです。

by かわはら (2017-08-31 21:29) 

ゆきねこ

かわはらさま ありがとうございます
いいところにお住まいだったのですね。
盛岡正食協会も閉めた?ような噂を聞いたのですが
まだ確認できておらず・・・そうだったらショック~。
自習時間のお茶餅はおいしかったでしょうね!

「べんじぇもの」掲載のワルトラワラが、探したら
どうやら手元分なくなっているので
このページを後日メールか郵送でおくりますね。
いつもありがとうございます!
by ゆきねこ (2017-09-01 08:55) 

かわはら

ゆきねこさん、ありがとうございます。
「べんじぇもの」記事を送って頂けるなんて嬉しいです。
スマホの機種変更を最近してアドレス変わっています。
後で、メールさせていただきます。
by かわはら (2017-09-02 14:21) 

ゆきねこ

かわはらさま いつもありがとうございます
ではちかじかお送りさせていただきますね。
メールも拝見しました。
アドレス変更了解です。
では今後ともよろしくお願いします!
by ゆきねこ (2017-09-03 08:36) 

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