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身延線に乗って [宮沢賢治]

9月の岩手で参加した賢治祭(「けんじさい」と読みます)。
その会場で今年は保阪庸夫さんのお話を聴きました。
保阪庸夫さんは、賢治の友人だった保阪嘉内の息子さんです。
そして大沢温泉の廊下でもぱったりとお会いし、そこでもお話しをうかがう事が出来て
山梨県韮崎市で行われる碑前祭に出かけたくなりました。

そうして出かけた10月中旬の報告です。
関西から山梨へ・・・所要時間だけいうなら、私にとっては岩手にでかけるより、乗り換えも多いし、遠い場所なのです。

けれども出かけるなら一度出かけたかった場所へ寄り道をしよう。
静岡経由で身延線に乗りました。
新幹線からは雲が多くて見えなかった富士山ですが、
身延線ではどうでしょう。
やっぱり雲が多かったのですが、
車窓の左側から、右側からときおり頂上付近がちらっとみえました。
そしてついたところが
とうちゃく.jpg

待合室の椅子に手作りの手編みクッション
身延駅のベンチ.jpg
なんかこれ素敵だなあと思って写真を1枚。

駅前に古いポストが現役でがんばっていました
こんなところも洒落ています。
駅前に昔のポスト.jpg

お昼ごはんに駅の近くのお店で湯葉丼をいただきました。
湯葉丼.jpg
写真には写っていませんが湯葉のお刺身つき。
湯葉が名産なのは、大きなお寺のある場所ならではですね(比叡山もそうでした)。

それからバスに乗ってついたところが身延山久遠寺
宮沢賢治が信仰していた日蓮宗の総本山です。
身延山久遠寺.jpg
とてつもなく大きな三門をくぐって右側に賢治の碑があります。
こんな場所です.jpg

昭和36(1961)年10月に宮沢賢治研究会協賛者によって建立と記録がありました。
昭和36年10月.jpg

塵点の 却をし 過ぎて いましこの 妙のみ法に あひまつ りしを
ひ.jpg
「雨ニモマケズ」が書かれていた手帳のペンホルダーに
巻いてあった紙片に書かれていた一首です。
この短歌については、碑前祭で講師をされた望月先生の解説のある
盛岡タイムスを→ 
碑.jpg
この紙片、林風舎から復刻された手帳にもちゃんと入っていて
最初にペンホルダーから出して拡げた時は感動でした。
復刻手帳はこちら→ 

賢治がこの久遠寺を訪ねた記録は残っていないのですが、分骨がされています。
賢治の中で何かを見つけた思いが垣間見られるこのことばを、身延山で実際にながめていると
総本山であるこの場所にもしかしたら来ているのではないかしら、と思えてきました。
憶測でものを言ってはいけませんが。

しばし碑の前でたたずんで、本堂に向かいます。
向かいます・・・さて、本堂はどこに。
静かな石畳み.jpg

この上に。
これからが正念場.jpg
階段をのぼってのぼって、
のぼってのぼって
最後の1段
「はあ~~、ついたあ~」
到着.jpg
万歳したら、
そばのベンチに腰かけていたご夫婦とワンちゃんたちが
「お疲れさん」と声をかけてくださいました。
息はぜいぜい、汗かきゆえに、だくだくと。

左側を見上げると昨年5月に134年ぶりに復活した五重塔
五重塔.jpg

階段を上った先に本堂が見えます。
しずかなところ.jpg
本堂でお題目を唱える親子らしき方たちの後ろで、しばらく座っていました。
時折、数十人の白装束の方たちが境内を団体でお参りされている姿があります。

ケーブルカーに乗って身延山山頂へも。
とーちゃく.jpg

富士山はここでも雲に隠れてちょっぴりだけ顔をだしていました。
遠くに富士山.jpg

こんなおもてなしも。
山のおもてなし.jpg

身延山は境内も山頂も、ほっとする、ゆるゆるとした明るい空気の流れている場所でした。
風向きのせいかもしれませんが、お寺によくあるお線香の香りが濃く漂っている風ではなくて
木々の緑の匂いがゆらいでいるような感じです。

ところで、この場所に祖父母が分骨されていること、すっかりと頭の中から抜け落ちており、
家に帰ってから注意されました。

そういえば建物の中に木枠にガラスがはめ込まれお位牌がたくさん並んでいる場所がありました。
お参りしている方もいらっしゃったのですが、
その空間の雰囲気が温かくて懐かしい感じがして、
私にはあの大好きな大沢温泉に似ていて、
私もいつかこんなところだったらいいのになあとさえ思い、ながめていたのです。
あの場所に祖父母がいたんですね・・・。

おじいちゃんとおばあちゃん、きっと私の様子を見て「あれまあ」とあきれていたことでしょう。
賢治さんも祖父母もいたのに、お数珠をもっていけばよかった。
スミマセン次回はきっと・・・・。
それでも柱の陰から見ていてくれていたかもなあ、なんて呑気なことを思い、
賢治と関係のある場所が、我が家ゆかりの場所だったことに、ほくそ笑んでしまう孫なのでした。

帰り道、山を降りるには、またあの階段が待っていました。
膝をがくがくとさせながら、明日は筋肉痛必至だなあ。
門をくぐると.jpg


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コメント 4

山崎

身延の碑を訪ねて頂いてありがとうございます。
この碑は佐藤寛という賢治研究の取りまとめ人を中心にして建てた碑です。
「四次元」の別冊に詳細は書かれています。
家にまだあるとおもいますので、送らせて頂きます。
父はこの碑を建てるのは反対の立場でした。
建てる事よりも維持する方が難しいと進言したのです。
でも、会で数年に一度は清掃と傷みを確認に行くのですが、必ず父も付いてきます。
皮肉なものです。
身延のあの階段は、王監督が現役の時に自主トレに使っていたようですよ。
by 山崎 (2010-10-31 21:04) 

signaless

愛知からも韮崎に行くのは遠いですから、関西方面からだとさらに、ですね。やはり静岡まで新幹線を使ったほうが早いでしょうね。

そうか、身延山に寄ってくるという手があったか!(笑)
今度はぜひそうしようと思います。
しかし、写真の階段をみたら…いえいえ、頑張ります!

by signaless (2010-11-01 09:49) 

ゆきねこ

山崎さま いつもありがとうございます。
念願の碑を観に行くことができました。
建てることよりも維持するほうが難しい・・・は、
9月の泉澤さんの研究発表を思い出しました。
建てたときの熱意を世代が変わっても引き継いでいくこと
本当に大変なことです。
碑にかかわらず何事においてもそうなのですが。

王監督の記録はあの階段の積み重ねもあるのでしょうね、きっと!
by ゆきねこ (2010-11-01 19:32) 

ゆきねこ

signalessさま ありがとうございます。
今回は静岡経由で出かけましたが、韮﨑~関西コースは、新横浜まで出てしまって「のぞみ」にのるという方が、乗継によっては、距離的には遠回りだけど、なぜか速く移動できるようです。
けれども本当はゆっくり時間に余裕をもってガタゴトいきたいものですね。

身延山へお出かけの際は、ぜひ、あの階段チャレンジしてください。
息は切れるけれどものすごーく充実感ありますよ。
by ゆきねこ (2010-11-01 19:37) 

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