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My Family History [本と雑貨とそれから雑記]

宮澤賢治と出会ってから明治から昭和初期くらいまでのあらゆること
特に当時のたべもの事情を見たり聞いたりするのが好きです。
そういうわけで今年の夏は映画「風立ちぬ」を観てわくわくとしたご報告は先日の通り。
http://bonjour-konogoro.blog.so-net.ne.jp/2013-08-29
そしてなぜかその後も、この夏以降、大正の頃を想える諸々との出会いがいくつかありました。

私が昔の資料をながめるときは、
  ・・・・すでにお気づきと思いますが!
宮澤賢治の年譜を軸に据えて当時の様子を想像するのが好きなんです。
それを勝手に「賢治軸」と呼んでいます。

そのひとつ、賢治軸も大活躍で私がわくわくしたのは、
7月の祖母の13回忌のときに伯父さんが見せてくれた家族の記録でした。
伯父さんがまとめたものです。
1.jpg

中でも大正7年と8年の祖父の日記は、当時の阪神間のハイカラなようすが
じわっと伝わってくる内容で、伯父さん、そして
おじいちゃん書き残しておいてくれてありがとうとつぶやいてしまった。

賢治軸を使えば、宮沢賢治22,23歳のころ、祖父は18、19歳。
2.jpg
祖父はとても努力家で働き者の人でした。

だけど私が好きなのは、仕事帰りにカフェパウリスタなどのカフェに寄り道していたこと。
仕事や将来のことを悩み考えてしんどくなった日にも、
「カフェに行って一杯のコーヒーをすすればそれで満足なのだ」と書き記しているところです。

ほかにも心斎橋のつるや、千日前アサヒビール、道頓堀のライオンに
同僚と出かけて食事をしていたり、
太陽館や敷島劇場というところに「キネマ」見物にでかけていたり、
そのキネマではどうやら「ハリーケリー氏」という役者?のファンだったようです
(いつか浮世白鳥さんのサイレント映画会で出会えるといいなあ
http://bonjour-konogoro.blog.so-net.ne.jp/2013-07-07-1)。

心斎橋でレインコートを買って、雨が早く降らないかなとつぶやいたり、
2月には朝ごはんもたべずに真冬の六甲山登山をして
(宮沢賢治もそうですが、当時の人は実によく歩きますよね)
山でたべたリンゴとチョコレートが大変おいしかったというエピソードも。
これには私は
宮澤賢治が友人と岩手山で一斤の食パンと湧水を飲んだエピソードに似ているじゃないかと
賢治ファンゆえの、にんまり、をしてしまったのでした。

日記はどちらも1月1日から始まっていて
残念ながら大正7年の日記のほうは「以下略す、書く暇も無し」と6月で終わっているのですが
大正8年は最後まで書いている。祖父は几帳面なんだかどうなんだか
私も日記が続かないのはそういうわけなのか???ということにしておこう。

明治33(1900)年生まれの祖父と
明治38(1905)年生まれの祖母です。
孫が言うのもなんですが、祖父はなかなかハンサムで、祖母はかわいいでしょ。
4.jpg
「賢治軸」でながめれば
明治29(1986)年生まれの宮澤賢治とは、それぞれ4歳違い、9歳違い。
生きていれば、祖父は113歳、祖母は108歳、そして賢治は117歳。
  ・・・すると賢治さんはやっぱり昔の人ではないなあと思えてくるのです。

祖父は私が小学生の時に亡くなったので、
「おじいちゃんの若い時には・・・」なんて話は本人からきいたことがなく、
そうでなくとも、私にとって、身近な人であればあるほど、
家族の話を聞く機会はこれまでなかなかありませんでした。

これは伯父さんに見せてもらった資料の中で私が一番好きな写真。
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木漏れ日の中にいる、父と父の兄弟、それから近所のお友達。誰が誰でしょうというのは内緒。

今回伯父さんに見せてもらったそれぞれの資料は私にとってとてもありがたく、
というのも、大げさでなく本当に、
どうして私は今ここに住んでいて、この時代に生きているのだろう
そんなことを思うことができたからでした。

そうして祖父や祖母と言う大変身近な人を通して知ることのできる当時の様子は、
私にとって、大河ドラマよりも、朝ドラよりも、感激と感動がたっぷりと詰まっていました。

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そう、そして朝ドラです!
NHK朝ドラ「あまちゃん」が終わってしまった~~と嘆きながら
翌週からはじまった「ごちそうさん」を毎朝楽しみにして見ています。
明治44(1911)年という時代から始まったこのドラマ。
今週は主人公の、め以子ちゃんが18歳になった大正11(1922)年となりましたが、
「私軸」でいえば当時、私の祖父と祖母はそれぞれ22歳と17歳
登場人物と同じくらいですね!
「賢治軸」でいえば、宮澤賢治26歳。稗貫農学校教諭時代。

「ごちそうさん」は」この時代の西洋料理がたくさん登場しているので、毎朝わくわくです。
一週目の西洋料理指導には肥田順先生のお名前を見つけました。
私が通っていた調理師学校の先生で、私が通っていた当時は、
フランス校から帰ってこられた直後で授業でも最新のフランス料理のおはなしや、
フランス料理の古典についても深く広い内容のしてくださった記憶があります。
現在は息子さんと大阪でフランス料理店「ビストロポタジェ」をされておられるのですが、
本当に先生の授業のさまざまなフランス料理のお話は楽しかったデス。

番組でトマトのことをちゃんと「赤茄子」といっているところなど、
さすがNHKの時代考証素晴らしいと感心しました。
だけどね一週目は登場人物の台詞それぞれに「ありがとう」と「いただきます」が
あまりに少ないのが気になりました。
何にせよたべものを受け取る場面でなんで「ありがとう」って言わないの~~。
気分は関西の、つっこみおばちゃんです。
二週目、大正11年が舞台になりましたが、以降、気にならなくなりますように。

翌年の大正12年は宮澤賢治が『春と修羅』『注文の多い料理店』を出版した年です。
そうして大正12年9月1日は関東大震災。そこでまた時代が映画「風立ちぬ」と重なるわけです・・・
来週以降の「ごちそうさん」、め以子ちゃんの人生はどうなっていくのでしょうか。

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今日は祖父の命日でした。
そんなわけでちょっとあれこれ書いてみました。

・・・大正のわくわくは次回にもつづく・・・


コメント(4) 
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コメント 4

なおたろう

本当に粋でハンサムですてきなおじいさまと可愛らしいおばあさまですね。
お二人のご縁があったからゆきねこさんがお生まれになったわけですから、わたしもお二人に心から感謝いたします♡
by なおたろう (2013-10-10 22:42) 

signaless

ハイカラで素敵なお祖父様。
今のゆきねこさんを拝見していて納得!

「賢治軸」で考えてしまうということ、まったくいっしょデス。
なるほど、いい言葉です(笑)

タイムマシンが欲しいですよね~♪
by signaless (2013-10-11 09:41) 

ゆきねこ

なおたろうさま ありがとうございます
本当に、今、私がいるのも祖父と祖母がいたからですよね。
感謝かんしゃです。

by ゆきねこ (2013-10-11 16:51) 

ゆきねこ

signalessさま ありがとうございます
本当にタイムマシン欲しいですね~。
まずは当時の本をのページをめくって
タイムスリップしております。
by ゆきねこ (2013-10-11 16:54) 

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