一関ぶらぶら [散歩と旅と]
前の記事のつづきです
夏に歩いた一関さんぽのご報告
駅前の大槻三賢人像
三賢人
先ずお一人目は「大槻玄沢」
江戸時代後期の蘭学者・大槻玄沢(おおつきげんたく)のことは
中学・高校の社会の科目で出てくるかと思います。
テストに出てくるとこの方のお名前、読み書きが大変なのよね。
それで読めるようになる。
その大槻玄沢さんは一関藩出身ということは、私は一関にくるまで知りませんでした。
『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。
「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名である・・・のだそうです。
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お二人目は、大槻玄沢の息子
大槻磐渓(おおつきばんけい)さんは漢学者・儒学者
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そして三人目は、大槻磐渓の三男、
大槻文彦さんは国語学者。日本で最初の辞書「言海」を作った人です。
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親子3代で日本の近代化に貢献した大槻三賢人。
この3人の人生を追っていくと、時代の動乱と、
西洋の医学や文化が日本に入ってきて、日本が変わってゆく様子なども重なり、
おもしろい大河ドラマになるでしょうね(「仁」も思い出します)。
一関はほかにも賢人・文人ゆかりの町。
大通りには、松尾芭蕉さん
市内の数か所に芭蕉ゆかりの地があり、
芭蕉ファンには一関だけでも奥の細道紀行ができそうです。
おとなり町、平泉では「夏草や…」のあの有名な一句を詠んでいるのですから
このあたりも歩いていたというわけですね。
そして私が今回注目するのはこの方、
武部清庵(たけべせいあん)さん。
でも、こんなに立派なレリーフがあるのに
一関観光パンフレットに載ってないのです・・・涙。
芭蕉さんや大槻親子とは違って、メジャーではないということなのでしょうか?
だからこそ、ぜひぜひ、一関ではもっとこの方のことを自慢して下さい。
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むむ・・・ウィペディア間違ってる
(誤)「たてべ」ではなく(正)「たけべ」です。
私も以前、間違って覚えていたので反省なのですが。
武部清庵さんは、杉田玄白と交流のあった江戸中期の一関藩のお医者さん。
そして飢饉で苦しむ東北の人々のために、飢饉に備えて、食べられる樹木や草木を調べ、その食べ方や備蓄法等を『民間備荒録』、『備荒草木図』という2冊の本にまとめた人です。
飢饉については、小中高の社会で学んだことが誰でもおありかと思いますが、図書館等で、さらに深くその関連の本を開いてみれば、それはそれは本当にすさまじいのです。
飽食の時代、食べ物の廃棄なんて言葉の乱れとぶ現代社会に生きているのがはずかしくなるほどです。
飢饉や飢餓で苦しむ中、人がなんとしても生きていくために必要なのは、けれどやっぱり食べること。
でも食べ物がない。
その究極の中で人間が生み育んだ智慧・知恵というものは生き抜くための究極のものです。
そしてそれは未来に生きる私たちにも、これから生きるための指針になるかけがえのない財産だと思うのです。
その指南書を作ったのが建部清庵さん。
私はその業績を知って建部ファンになったんです。ね、知ればファンになるでしょう!?
そんな想いも背負った一関さんぽです。
そうして一関図書館へ。
http://www.library.city.ichinoseki.iwate.jp/guide/ichinoseki/
駅から徒歩約10分。
入口にはSL。1階にはカフェもあり、建物全体がとても解放感があり明るい。
閲覧室の天井は高く、かといって本棚は目線の高さより少し高い程度におさえられていて、
本が威張っているような圧迫感がありません。本たちもみんな機嫌よく並んでいるようなそんな空間です。
こんな図書館なら毎日でも来たいなあ。
と、みなさん思われるのか、今年の貸出数は岩手県立図書館を上回って堂々の県内一位だそうです。
受付カウンターで伊藤さんにもお会いすることができました。
そして学会でお世話になっているSさんにもばったりと(次のご著書たのしみにしています)。
まゆみさんと、武部清庵とベイシーのことをちょっと予習して、そのあとしばらくぶらぶら歩き。
図書館ちかくのこの喫茶店と、
「なんか効きそう(何に?)」な、昭和レトロなお風呂屋さん。
気になります。
浦しま公園
大黒さんとえべっさんにごあいさつ ほんに、ほんに。
このあと世嬉の一酒造にいったのですが、報告は次の記事で
ぶらぶらさんぽの最後に立ち寄ったのは釣山公園
ここに建部清庵の野草園があります。
地図を見れば、公園と言っても広い。そしてここは山だった。
坂道登って、ハイキングでした。
夏のハイキングは暑い、そして目的地はどこにあるのだろう???
道のりに、行き先看板がありません。まるで大阪の地下街じゃありませんか。
まゆみさんと、さまよいました(私一人だったら絶対もっと迷っていた)。
ちょっとみてくると、先を急いでがんばった私は、大汗かきかき、気付けば頂上付近。
まゆみさんは蚊にかまれ、かゆいかゆい。
あった~。少し戻って、山の中腹にありました。
「まごころはすなわち天を救う奇策なり」 清庵野草園
昭和60年に清庵野草園をつくる市民の会が
その著書に出てくる135種の野草から一部を植栽してつくった園とのこと。
つまり「なにかあったとき」ここにくれば、植物に教わり、助けてもられる場所です。
夏草どもや夢の跡???
いえいえ。よくみれば
ちゃんと看板通りの植物が生えております。
ワラビは生長してシダになっております。
しかし、わざわざ来る人はいないのか、実にひっそり。
日当たりのいいベンチには若いカップルがいて、
私たち二人がキャーキャ―写真を撮るのを不思議そうに(邪魔だなあって感じで?)
遠巻きに見ておられました。わはは。
書いてしまうとなんだかおおげさになるけれど、
本当にここは、生き延びるための智慧の詰まった場所。
一関にとっても、この時代を生きる人みんなに大切な場所です。
・・・だからもっとみんなが、たずねやすいように、できれば
公園の入口からこの野草園の場所まで、行き先看板を作って下さい。
ぜひとも、よろしくおねがいします。
次は、もち御前 つづく
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